サントリー美術館に行ってきました。
理由はこの展示を見てみようと思い立ったからです。
「儒教のかたち こころの鑑 ~日本美術に見る儒教」
公式サイトはこちら
展示内容は各地方の美術館、博物館、名家の所蔵物を集めて展示した感じ。
安土桃山時代から江戸後期までの儒教にちなむ美術工芸品の展示でした。
儒教とは、いわずと知れた孔子様の教えです。
と偉そうに語りだしましたが、岩波文庫の論語を一回読んだくらいの知識しかありません。
で、その本を読んだ時の私の印象は、
「孔子さんは、周囲から尊敬されてはいたけど、同時にちょっと困ったところもある、かわいいお爺ちゃん」という印象でした。
孔子の教えを一行一行読んでみると「なるほどねぇ」「その通りだ。俺は間違っていた」みたいな言葉ばかりなんですけど、途中で「それは弟子がかわいそうだろう」とか「クスクス・・・面白い♪」と感じる言葉もちょいちょい書かれていたりします。なので孔子ってそんなに難しい事言っていた訳ではなく、凄く解りやすい言葉で語る人だったんだろうなぁという印象を持っております。
ところがです。その本(岩波書店の論語)を読み進めると終わりの方にに孔子の弟子の言葉も掲載されていまして、それらが孔子の言葉に比べて、滅茶苦茶につまらない文章になるんですよ。説教臭くて読む気にもなれない感じ。
つまり孔子の教えと後の儒教は似ているけど、違うものなのか?とついつい思ってしまいます。
孔子ご本人は結局、就職できずに一生を終わる訳で、その後「儒家」として重陽されていったのは、その弟子たちやその系譜の人達。
そんな弟子達の系譜の人が、なぜ体制に活用されいったかと言うと、確か漢(古代中国)の時代。高祖だったか、その孫の武帝あたりが、武の時代から文の時代に変えるべく体制維持に儒教を活用していった何かの本で読みました。確か陳舜臣さんの「中国の歴史」だったかな?(とにかく、荒っぽい豪族達を穏やかにしようってお話だったと記憶しています)。
それは時代を超えた日本でも同じで戦国時代が終わった徳川時代に、全くおんなじ理由で儒教を採用していった確か高校の日本史の授業で習ったと記憶しています。江戸時代の前から儒教は日本に入っており、公家や武将の教養として親しまれていた訳なんですが、その時の儒教の担い手は仏教僧達。仏教僧が儒教を研究していたようです。江戸時代になぜかこれを(仏教僧と儒教)を分離させています。
で、日本では儒教が独立した学問になった。
でも、それは孔子という楽しいお爺ちゃんが言いたかった事じゃなく、弟子の系譜のもの。
あの岩波の論語の後半のつまらない事ばっかり書いている弟子たちから派生したものです。
朱子学という学派が主流だったらしいけど、この辺りについては私は触れません。
全然詳しくありませんので(ほかの事も詳しくないけど)。
それにこれを機会に授業についても勉強してみようとは思ったけど私にはやはり敷居が高過ぎます。
以上です。
サントリー美術館には初めての訪問でした。常設的なものはなく、基本企画物だけの美術館のようです。東京ミッドタウンの中(ミッドタウンって初めて入った)。
江戸時代の儒教に興味がある方はこのサイトをご覧ください(コトバンクさんのサイト)
皇室や大名家ゆかりの美術品を見るというのは良い体験でした。行ってよかったです。
今日も薄い内容で申し訳ございませんでした!
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