「美しい村 風立ちぬ」堀辰雄 昭和7年刊行。
書評家だとこの本に難しい論評をします。
「生と死」「出会いと別れ」が描かれ、云々かんぬん…。
で、広く読まれた時代背景としては、激動の時代、後に戦地に赴く若者達の心に…
と言う論評のパターンが多いようです。
著者が書いた理由は私にはわかりませんが、
売れた理由はもっと単純で、この本を読む事で刊行当時の読者は
「涼」
をとっていたのだと推察します。
(暑い日のシーンは数ページしかない)
この本が刊行された昭和7年。夏は当然エアコンなどありませんでした。
そんな暑い夏にこの作品を読んで「いいなー 軽井沢」「涼しそうだなぁ」と
涼しい世界に思いを馳せていたのではないかと。
エアコンがないころっを思い返すと、ホントによく暑さを凌いでいたものです。
幼少期の私などは扇風機に抱きついて「ひゃー涼しい」とか言っていたものでした。
そんな時、大人はどう暮らしていたかと言うと、昼寝で暑さを凌いでいました。
今風に言えば「すべての経済活動」を止めて「昼寝」です。
夏の昼から15時位までの時間となると繁華街から少し離れると人影はなし。
皆、昼寝をしていたからです(ああいう世界の事を「昼下がり」と言うんだろうな)。
この時間帯に近所の商店にアイスとかを買いに行くと、
店番のお婆さんは店の奥の和室で昼寝。客の私に気づいて、
むっくりと起き上がり「いらっしゃい!」とニッと笑う感じ。
そんな光景はだいたい昭和50年代には完全に姿を消しました。
おばあさんが店番をする商店が消えた事と、エアコンが完全に普及した事がその理由だと思います。
と、ここまで書いているうちに堀辰雄の世界からだいぶ離れてしまいました。とにかく文章で「涼」をとるという文化が昭和にはあった筈だという推理を書きたくて、この本の事を書きました。
書店に行ったらぜひ立ち読みしてみてください。冒頭から数行読んだだけでもう「スーッと」と軽井沢の涼しい世界に入っていけます。
たぶん私の本棚にもずっと置いておきます。
暑い日はまだまだ続くでしょうから。
新潮文庫の「ほ 1 2」です。
